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最近思うこと
         秋到来(2024・10・27)
★遅ればせながら、実りの秋、味覚の秋、スポーツの秋、芸術の秋、読書の秋が訪れた。抜けるような紺碧の空、“柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺”、じゅうじゅうとけぶる秋刀魚の塩焼き、つやつやした丹波の大栗、こんな秋は思い出のかなたに、実りの秋、味覚の秋は季語から消え去る運命か。
★地球温暖化で世界各地に自然災害が頻発、わが国でも能登の大地震はじめ、線状降水帯など大規模洪水、土砂災害が発生。記録的な酷暑で農作物が不作、米が店頭から消え、令和の米騒動となった。先日、秋刀魚を食した。やせ細って身をつまむのに苦労した。
★スポーツは体力的に出来ない歳になった。辛うじて週5回ウオーキングをし、年数回ゴルフに出掛けるのがせいぜい、専らテレビ観戦と堕した。大谷の大活躍でドジャース、ワールドシリーズ進出、巨人はCS敗退、日本シリーズ進出ならず、落胆。
★本離れと言われて久しい。叔父は書店を営んでいたが、10年前に廃業に追い込まれた。書店のない自治体が全国に456(4分の1)ある。本は手に取って読む時代からパソコン、スマホで見る時代になった。スエーデンはデジタル教材が学力低下をきたすとのことから、紙の教科書に回帰するとのこと。政府は書店開設を支援する方針を打ち出した。
★私はパソコンもスマホもない時代に育った。ラジオと読書が娯楽の中心だった。本はよく読んだ。ベストセラーは必ず買った。現役時代は通勤電車が図書室だった。今も読書は続けている。変わったのは本屋で買わずに、図書館で借りること、本屋もピンチだが、図書館も同じ。本屋の売上には貢献出来ないが、図書館にはささやかながら寄与している。
★人間が一生賭けて習得する知識は知れている。人は学校、人との交流、実務体験、旅などから学ぶが、それはほんのわずかでしかない。それを補ってくれるが読書。本は読まなければ、ただの印刷物。ごまんとある書籍の中から、これはと思うものを見つけるのは難しい。それを助けてくれるのが選者の書評、私はもっぱらこれを活用している。
★最近読んだ内館牧子の「大相撲の不思議」で「心・技・体」は、正しくは「心・氣・体」だと知った。「心を修め、氣を養い、体を整う」という意味。「気」は「氣」であることがミソ。白鵬は品格に欠け、横綱に相応しくないと手厳しい。
★続いて読んだのがフィリップ・フロームの「縫い目のほつれた世界」。これは16世紀から17世紀にヨーロッパで起きた「小氷期」がテーマ。
★今地球は、温暖化で様々な異変が起きている。当時のヨーロッパは真逆の氷期だった。日照不足、干ばつ、渇水、低温で河川・湖は凍結、テムズ川が氷結し、馬車が通る道が出来、露天屋台が常設、耕地は干上がり、農作物は凶作、物価高騰、生活苦、増税、飢餓、餓死、疫病、統治不能、戦争、略奪、奴隷、人口減、信仰不信などなど社会全体が暗雲に覆われた。
★長引く天候不順に、キリスト教会は神の怒りと断じ、祈祷師、占い師が跋扈、生け贄、魔女狩りが行われ、社会不安を煽った。冷害と温暖化の違いはあるが、災害多発、干ばつ、農作物の不作、品不足、物価高騰、生活苦、極右の台頭、戦争などは当時起きた社会現象と共通点が多い。
★「神はわれらを見捨てられた」というのが「小氷期」の一般大衆の認識だった。神秘学、魔術、予言など流言飛語が飛び交い終末論が蔓延した。天候不順を信仰心不足と断じ、生贄、魔女狩りなどが行われ、罪なき多くの人が火あぶりなどの犠牲になった。
★モンテニューは、「事実は何か」を自らの胸に問い、何ものにもとらわれず、現実を冷静に観察し、独断的な思考を避けながら真実を追求、懐疑主義、懐疑論者と言われた。
★モンテニューの事実を解明する客観的な姿勢はやがて天文学、科学・技術、文化・芸術、教育制度、政治・経済、自由主義の基本になった。天文学者は、寒冷化は太陽の黒点と自転の影響であると明らかにし、農学者は寒冷に強い品種改良や他の大陸から持ち帰ったジャガイモやトウモロコシなどの普及に努めた。
★哲学者は「神は自然、人は平等・自由」と言った。「小氷期」から四世紀、人類は進歩しただろうか。「読書」は未来へのトビラ、秋の夜長は本を読もう