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最近思うこと
         「別れを告げない」(2025・1・6)

★ハン・ガンの「別れを告げない」を読みました。ハンは2024年、ノーベル文学賞を受賞した韓国の女性作家です。この本を読んだのは、四・三事件をモチーフにしていると、読売の書評にあったからです。
★四・三事件とは、1948年、韓国済州島で起きた大虐殺事件のことです。島民3万人が殺されたと言われています。これは韓国史上最悪の汚点として、真相が明らかにされないまま、長い間タブー視されてきました。
★事件は、第2次大戦末期、戦後の朝鮮半島の統治を巡って、米ソの思惑の違いが根底にあります。南は朝鮮半島に統一独立国家を樹立する構想を描きます。ソ連は社会主義政権の樹立を目論見ます。共産主義の波及に危機感を抱いた米国は、それを阻止する工作に乗り出します。朝鮮半島は米ソのせめぎあいの場となります。
★南北分断が不可避となり、南だけの単独選挙が1948年5月10日に決まります。これに対し、あくまで南北分断を拒否し「統一独立と完全な民族解放」をスローガンに掲げた南朝鮮労働党(南労党)が、南だけの単独選挙に反対して、済州島で、警察署などを対象に武装蜂起を決行します。これが四・三事件の発端です。
★8月15日、大韓民国が誕生、李承晩が初代大統領に就任します。米軍政庁は、傀儡政権に圧力をかけ、共産主義者一掃の強硬手段に転じます。その対象になったのが済州島です。済州島をアカの拠点と断じ、島民を共産主義者とみなし、全島民をアカ狩りの標的にしました。
★シナリオ・ライターは米軍ですが、実行に携わったのは韓国軍と警察でした。これに「西青」と呼ばれる極悪非道の青年組織が加わり、悲惨な殺戮が行われます。西青は1946年ソウルで結成された北朝鮮出身の反共右翼団体です。
★済州島は、韓国の最南端にある島で、韓国のハワイと呼ばれているリゾート地です。風光明媚、独自の歴史と文化があり、観光スポットとして多くの観光客が訪れています。私も友人達と訪れました。本土とは違う自然や料理、穏やかな島民らのたたずまいに触れ、好印象を持ちました。
★その後「済州島」という文字が出るたびに、ごく自然にその記事に目がいくようになりました。四・三事件に関心が向かったのは自然の成り行きでした。
★それを決定づけたのは金石範の「火山島」でした。これは全7巻の大著です。1年がかりで読みました。「火山島」は四・三事件をテーマにした小説ですが、小説というよりはドキュメンタリーあるいは歴史学術書と呼ぶ方がふさわしい構成になっています。謎に包まれた四・三事件の背景を明らかにすべく、内外の資料を掘り起こし、関係者との面談を重ねました。金石範がライフワークとして書き上げた執念の力作で、四・三事件の全貌が余すところなく描かれています。
★ハンの「別れを告げない」は、二人の女性の身辺に起きる奇妙な出来事がテーマです。二人は大学の同級生で、キュンハは作家本人を思わせる作家です。親友のインソンは映像作家で、済州島の出身です。二人とも独身、今は中年です。二人の共作で何本かのドキュメンタリー映画を製作しています。
★「火山島」が事件の発端から終結まで克明に述べているのに対し、「別れを告げない」は二人の身辺に起きるごく限られた狭い空間での四・三物語です。これは変わった小説です。幻想的、超自然的で、どこまでが現実で、どこまでが夢なのか判然としません。さしずめ「夢か現か幻か」といった感じです。理詰めで読もうとすると混乱します。しかし、それを無視して読み進むと輪郭がはっきりしてきます。
★四・三事件が起きたのは、インソンの母が12歳、父が19歳の時です。それに母の兄(インソンの叔父)が関係者として登場します。インソンの母は、60代と思われますが、小柄、痩身、背が曲がり、寡黙で老いさらばれ、80代を思わせる老婆です。認知症のためインソンが面倒をみています。
★当時、島の若者はアカ狩りの対象となりました。「討伐隊」から逃れるため、南労党の「武装隊」に加わり戦うか、「討伐隊」の一味になるか、漢拏山の山奥や洞窟に身を潜めるか、ソウルや日本に逃れるかの選択を迫られました。
★討伐隊に捕まったり、投降した者は刑務所に送られ、拷問などで自白を強要され、処刑されます。蜂起は済州島だけでなく、民主化運動の光州事件など本土の各地でも起きます。その逮捕者で刑務所はいっぱいになり、各地に分散・移送されます。
★1950年、朝鮮戦争が始まり、予備検束者(治安維持法による逮捕者)で、刑務所は収容しきれなくなります。あふれた者は、慶山のコバルト鉱山に送られ、そこで大量虐殺が起きます。
★インソンの母は12歳の時、両親と妹を失います。兄は捕らえられ大邱刑務所に送られますが、朝鮮戦争で消息が途絶え、手掛かりが得られなくなります。父も家族全員を失います。本人は洞窟に逃れますが,捕らえられ、兄と同じ大邱刑務所に送られます。兄とはすれ違いでした。父は朝鮮戦争の混乱で、奇跡的に島に戻ってきます。インソンの母と結婚します。父はインソンが幼い頃、収容所での虐待の後遺症が元で、早世します。
★母は兄の消息を追って、収容者の名簿を入手したり、出所者を訪ねたり、懸命な捜索活動をします。各地の刑務所を巡った末、最後に辿り着いたのがコバルト鉱山です。ここは処刑された遺体が山積みになっていました。その中に兄の遺骸がないか探し回ります。結局、生死不明のまま母の捜索活動は終わります。
★インソンの母は、この事実をインソンに伝えないまま亡くなります。残された遺品の中に、衣類に縫い付けた新聞の切り抜きなどが見つかり、母の生前の行動が判明します。母はソウルで結成された遺族会にも加わり、先頭に立って活動しました。普段寡黙だった母が、時折堰を切ったように饒舌になることがありました。四・三事件を体験した島の女性は、思い出を閉じ込め、口を閉ざし、沈黙せざるを得ませんでした。
★「別れを告げない」は、この事件を決して忘れない、という意味でしょう。