「某作家のエッセイ」２０２５・４・２７

★以下のエッセイはある作家の作品です。まずお読みください。作家の名前はその後で。
×月×日
　週刊A誌へ「私の健康法」というのを書けと求められた。賑やかな席であり酔ってもいたので、やりましょうと承知をしたが、それから６日めの今日になって思いだした。枚数も聞いたのだが、すっかり忘れていて、その代わりに池部鈞さんのことが記憶に浮かんだ。
　もはやずいぶん以前のことになるが、どこかの新聞か雑誌で、やはり「私の健康法」という質問を発し、それを受けた人たちの答えの中に、池部鈞さんのものもあり、それにはおよそ次のようなことが書いてあった。
　“朝は早く起きて散歩をし、腹八分めに食べ、よく仕事をし、ほどよく体操をし、乱酔せず、夜は早く寝ること。以上を守れば健康を保つことは確かである。但し、頭がばかになることも疑いなし“
　これを読んだころ、私は大いにわが意を得たりと思った。身体が丈夫で頭がいいやつはいない、頭か身体か、精神か肉体か。われわれはどちらか一つを選ぶしかないのだ。そう思って池部さんに拍手を送ったものである。
　現在、私は健康に注意しようと自戒しながら、反面、不摂生な生活から脱することができない。池部さんがいまでも同意見なら、週刊A誌へ書くのは断ろうと思うが、こんなことを問い合わせるわけにはいかないので迷っている。　＊池部鈞（ひとし）：画家、池部良の父

★軽妙洒脱、ユーモアに富んだエッセイですね。これを書いたのはなんと山本周五郎です。周五郎と言えば「樅の木が残った」「ながい坂」「虚無遍歴」「五辯の花」「赤ひげ診療譚」など時代小説、歴史小説の巨匠です。「青べか物語」などの現代小説もありますが、重厚な時代小説作家という印象が強い作家です。
★このエッセイは「暗がりの弁当」という文庫本からの引用です。このエッセイ集には周五郎の日常雑記が記載されています。彼は酒好きで日がな一日酒を飲んでいます。ただし、日本酒は飲みません。もっぱらワインとビール、ウイスキーです。昼食はそばですが、朝・夕は洋食、音楽もクラシックです。これは私が思っていた周五郎のイメージとは正反対です。
★この本にワインの話が出てきます。周五郎はけっして高級ワインは飲みません。安いものにうまいワインがあると彼は言います。寿屋（現サントリー）のヘルメス・デリカ（白）ワインを絶賛しています。私は、ワインは不案内ですが、これを飲んでみようと酒屋にいったら、ありませんでした。今やビンテージのようです。
★人気作家ならさぞかし豪邸に住んでいると思いきや、周五郎は終生借家住まいでした。金銭に無頓着、ぐうたらの貧乏人と称していました。武士は食わねど高楊枝、さしずめ長屋住まいの素浪人といった風情です。周五郎の意外な人物像に触れるエッセイ集です。