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       「たかが2cm、されど2cm」(H25.11.21)
 メタボはすっかり日常語になりました。メタボが注目されだしたのは、肥満が増えてきたからです。太ると血圧が高くなり、中性脂肪や血糖が増え、動脈硬化につながり、糖尿病や心筋梗塞、脳卒中を引き起こします。これをメタボ症候群と言います。
 医療費もバカにならないため、政府を先頭にその対策に力を入れています。“メタボ検診”なる対策もそのひとつです。食生活の改善や運動が奨励されます。生活習慣を変えカロリーを減らすことが目的です。
 メタボの判断基準に、ウエストサイズ(正式には腹囲)があります。男は85cm、女は90cmです。これはナンセンスではと物議をかもしている尺度です。それとBMIです。25以上がメタボです。小生は23.5なので問題ありません。
 数値で見る限り、小生の血圧、血糖値、コレステロールなどいずれも正常で“健康優良ジジイ”です。しかし、ウエストは84cmなので、メタボ予備軍といえないわけではありません。若かりし頃は、65cmのスレンダーでした。その頃に戻るのは不可能ですが、せめて82cmにはしたいと思って、懸命な努力をしています。
 その理由は82cmのズボンを履くことです。現役時代に買った高級?ズボンが、箪笥の肥やしになっています。処分するのはもったいないので、未だに持っています。もうひとつの理由はゴルフのためです。太ると身体のキレが悪くなります。なんとか締まった身体にして、スコアアップにつなげたいと思っています。
 その対策として、毎朝15分ストレッチをしています。週3回は2時間のウオーキングに出掛けています。外出する時は、2駅ぐらいは往復歩きます。週1回ですが、太極拳を1年前から始めました。ゴルフは月3回コースに出ています。これは長年続けています。
 同世代では、運動量は多い方だと思います。にも拘わらず、ハラがへこみません。専門家によれば、運動の消費カロリーは意外に少ないそうです。食べる量を減らすことが、メタボ対策の本命のようです。ところが、これがなかなかに難問です。
 子育て時代は、食欲旺盛な子ども達のお蔭で、結果的に“腹八分目”の生活が出来ました。それが現役を退き“老婚生活”になると、食卓は老妻と2人になり、ダンパー役がいないため、ついつい食べ過ぎてしまいます。2人分を適量作るのは難しいようです。
 かてて加えてわれわれ世代は、少年期にひもじい思いをしたため、米粒1つまで残さず食べてしまいます。現役時代は、おやつの時間などありませんでした。“在宅勤務”になると、こういう新たな習慣も生じてきます。
 いくら運動しても、それを上回るカロリーを摂取しているのですから、目標達成は困難です。たかが2cm、されど2cmです。この壁をクリアするには“もったいない”から“欲しがりません、勝つまでは”へと意識改革する以外に方策はなさそうです。 
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         ビッグデータの活用」  (2013年11月01日)       
われわれの周辺には情報が充満しています。情報に質量があれば、生物はすべて圧死してしまうでしょう。これらの膨大な情報を有効活用する動きが目に付くようになりました。“ビッグデータ”です。

 人類の進歩は試行錯誤の連続です。画期的な発明、発見は偶然の産物か天才のヒラメキによってもたらされてきました。これはいかにも非効率的です。ビッグデータの活用は、この壁を破る可能性を秘めています。

 Suicaを分析して乗降客の動向を調べ、店舗の出店に活用する案が日立によって提案されました。岐阜医大では、バラバラの医療データを分析し、ムダな投薬をやめ、的確な診断につなげ医療費を削減しました。日本IBMは交通渋滞を解消する交通予測システムを開発しました。GEは製造分野に導入して生産性を向上する方針です。富士通は水道の管理を合理化し維持費を半減するサービスを開始します。政府はビッグデータを活用した交通基盤づくりに乗り出す方針を表明しました。オリムピックを見据えて、渋滞緩和、事故の減少、観光産業の活性化などへの効果が期待されます。

 その一方で、元CIA職員による機密情報漏洩事件は、独首相盗聴疑惑へと広がりをみせています。中国は知的財産をネットから盗み取っているといわれています。これらは盗聴が日常的に行われていることを示しています。われわれの身に及びかねない危うい側面です。

 曖昧模糊とした政治や経済、あるいは教育、文化にもビッグデータを積極的に役立ててほしいものです。    


   2013年投稿一覧
 投稿日    タイトル
 11月21日 たかが2cm  
    されど2cm
 11月01日 ビックデータの活用
 10月13日 「死生観」と「生死観」
最近思うこと
         「死生観」と「生死観」  (2013年10月13日)    
人間は必ず死を迎えます。聖人君子も大金持ちも変わりはありません。その意味では、人はすべて平等です。しかし、死がいつ訪れるかは誰もわかりません。それを決めるのは誰なのでしょうか、その基準は何なのでしょうか。

 18歳の女子高校生が元交際相手の男に殺されました。福岡の整形外科病院では10人もの人が火災で亡くなりました。これは誰が決めたのでしょうか。

 死は避け得ぬ定めです。この恐怖から逃れるために宗教が生まれました。哲学もこのテーマを追求してきました。プラトンは“哲学とは死について学ぶことだ”と言っています。
それでも死に対する疑問は解けません。

 日本では「死生観」と言いますが、中国では「生死観」というようです。日本人は、死とは「この世」から「あの世」への旅と考え「死ねばみな仏」という悟りを持っています。

 中国人は、世俗的で死を忌み嫌い生に執着する傾向があり、彼らが求めるのはもっぱら現実的、現世的利益です。不死への願望や信仰が強い民族です。秦の始皇帝が不老長寿の薬を求めたという逸話は、その気質をよく表しています。

 死への探求というより、永生の追求に関心があるようです。これは文明史家黄文雄氏の指摘です。