へ戻る

    政治家は因果な商売?(2016・6・10)       
★政治家は因果な商売ですね。発言や一挙手一投足が衆人環視に曝されます。立ち居振る舞いに神経を使わなければなりません。
★オバマ大統領の広島訪問はその見本となりました。原爆資料館の撮影は認められませんでした。大統領の表情によっては米国で批判が出る恐れがあったからです。慰霊碑の前でのクローズアップも同様です。オバマは表情を変えず頭も下げませんでした。心なしか目を閉じたことがオバマの心情を現していたと思います。
★舛添知事は連日衆人環視に曝されています。都議会の冒頭でペットボトルのキャップを落とし、こぼれた水をハンカチで拭く様子がTVカメラに捉えられました。平静さを装っていましたが、内心の動揺が伝わってきます。それにしても「四面楚歌」「孤立無援」「絶体絶命」の窮地です。サンドバックのようにめった打ちにあいながら、ただひたすら耐え続けています。本人はもう限界で試合放棄したい心境でしょうが、セコンド(?)はどこでタオルを投げるかタイミングを見計らっているようです。引導を渡すのは奥さんかもしれません。
★知日派として知られる中国の王毅外相は、4月30日北京で開かれた日中外相会議で、「誠意があるなら歓迎する」と岸田外相に高飛車の言葉を吐きました。写真撮影でも岸田外相の笑顔に対し、固い表情で応じました。外国の要人を迎える態度とは思えません。たとえ腹の虫が収まらなくても、カメラの前では笑顔を見せるのが外交儀礼というものです。これは王毅外相に限ったことではありません。習近平国家主席も安倍さんに同じような態度をとりました。沽券にかかわるとでも思っているのでしょう。
★王外相はカナダでも物議を醸しています。6月1日オタワでの記者会見で、カナダの記者が中国の人権状況を質問した際、「中国への偏見にあふれた質問で傲慢だ。到底受け入れられない」と非難。トルドー首相は「報道の自由は極めて重要。厳しい質問をするのはメディアの仕事だ」と反論。記者への不当な扱いについて、王外相と駐カナダ中国大使に抗議しました。イケメンの王外相も最近ではすっかり「渋面」になりました。
★アメリカ大統領選は好感度の低い同士の決戦になりました。英フィナンシャルタイムズは「史上、最も不快な戦い」だと辛辣にこき下ろしています。フィリピンの “トランプ” 次期大統領は、「犯罪者は殺してマニラ湾の魚のエサにする」、「南シナ海の中国人工島に水上バイクで乗りつけフィリピンの旗を立てる」などと本家トランプ顔負けの過激な発言で波紋を広げています。EU離脱問題で揺れるイギリスでは、キャメロン首相がパナマ文書で父親の関与が見つかり窮地に立たされています。ブラジルのルセフ大統領は、政府の会計疑惑で弾劾に追い込まれました。2度目の挑戦となったペルーのケイコ・フジモリは、父親の強権政治の批判が響いて僅差で敗れたようです。
★政治家は因果な商売です。それでもやりたいのが政治家のようです。
最近思うこと
        歯舞、色丹の返還(2016・10・23 
★12月に山口県で日露首脳会談が行われます。この席上歯舞、色丹の2島返還が合意される見通しだと読売がスクープしました。安倍さんは余勢を駆って、1月解散に踏み切ると報じています。
★わが国では、北方四島は歴史的にもわが国固有の領土と主張してきました。ロシア(ソ連)は、終戦のどさくさに北方領土を占拠し、ロシアの領土になったと主張、戦後70年経っても平和条約を結べない異常事態が続いています。
★2島先行返還論は何度かありました。今回は3度目の正直になる可能性が高い感じがします。しかし、残る2島は難しいでしょう。どう折り合いをつけるか注目されます。
★お互い自説を曲げなければ、永久に戻らないでしょう。ここは知恵の出しどころです。いっそのこと、どちらの国にも属さないフリーゾーンにしてはどうでしょうか。少子高齢化がすすむわが国では、仮に国後、択捉が戻ってきても、そこに移住することは難しい気がします。フリーゾーンなら活用の仕方はいろいろと考えられます。
★北海道の先住民族はアイヌです。彼等の祖先は2万年前に陸続きになったベーリング海峡を歩いて渡来したと言われています。縄文時代には千島列島や樺太島にも住んでいました。当時のアイヌは狩猟を生業とし、ヒグマやクロ貂、鹿、オットセイ、アザラシなどの獣類や鮭、鱒などの魚類を捕獲し、肉は食料に、毛皮は衣類や敷物、履物用として活用していました。弥生時代にはそれらを他の物品と交換するため、アムール川や中国まで出かけていました。そこで交換した大鷲の羽や鷹、鶴、絹織物は、貴重品として珍重され、わが国の朝廷にも献上されました。アイヌは交易の民とも呼ばれています。
★やがて蝦夷地(北海道)の資源に目をつけた和人(本州人)は、アイヌとの交易に力を入れるようになり、アイヌ居住地域へと進出し、その権益を侵食し始めます。遂にはアイヌを武力で制圧し、アイヌ民族を土人と呼ぶまでに蔑むようになります。アイヌの悲惨な歴史が始まります。
★明治政府は、1869(明治2)年8月15日、“蝦夷地”を「北海道」と改め、関係諸国に通知します。真っ先に伝えたのは箱館のロシア領事館です。この書状の中に“北海道”には国後島と択捉島が含まれることが明記されています。それより15年前の1854年12月21日、「日露和親条約」が締結され、択捉島とウエップ島の間を国境と定めています。
★1875(明治8)年5月7日には、「樺太・千島交換条約」が日露で調印されます。日本はサハリン島(樺太島)の一部に有する権利をロシアに譲り、サハリン全島をロシア領とし、宗谷海峡を両国の国境と定めます。その代償として、クリル群島の18島を日本に譲り、以後クリル全島は日本に属し、カムチャッカ半島のロパトカ岬とシュムシュ島間の海峡を国境にします。歯舞、色丹はこの条約前からクリル群島にある日本の領土でした。
★このように歴史的言い分はわが国に有利ですが、勝てば官軍で実効支配を続けているロシアは簡単にOKしないでしょう。ウクライナ(クリミヤ半島)をみれば明らかです。ここは両首脳の胸先三寸です。2島先行返還はよい落としどころと思います。
   マイナンバーカードは第2の住基カードか(2016・12・27)
★皆さんマイナンバーカードを取得しましたか。私は7月に交付を受けました。
★マイナンバーカードの申請が伸び悩んでいます。政府の発表によれば、12月19日現在の発行枚数は971万枚です。本年度の目標が3,000万枚ですから、わずか1/3に過ぎません。
★マイナンバーは別名「総背番号制」といい、国内に住むすべての人が対象です。このことから考えると、現状の発行枚数は微々たるものです。国民はこの制度にそっぽを向いているとしか思えません。このままでは第2の住民基本台帳になる可能性が大です。
★国民一人ひとりに固有の番号を付けることで、身分証明書代わりになるとか、住民票の申請や健康保険の手続き、源泉徴収票の作成、納税の手間が省けるなどの利便性があると政府は強調しています。その一方で、個人の資産が丸裸にされ、脱税を阻止し、税の捕獲率を高める効果があることから、資産家に敬遠されていると言われています。政府の真のネライはここにあります。
★私は資産家でも金持ちでもないので、その心配はありませんが、政府が主張する利便性の魅力も感じません。例えば、身分証明書は、運転免許証の方が好まれます。認知度が今いちです。
★それならなぜ取得したかといえば、まったく個人的な理由です。前回の市長選で応援した候補者が、土壇場で後援者の裏切りにあい落選しました。彼は借金を抱え働かざるを得なくなり、友人が経営する情報サービス会社に再就職しました。この会社がマイカードにかかわっていました。
★彼は現役時代、市役所の情報システムの開発責任者として、その構築に力を発揮しました。その経験があったことから、友人に声を掛けられました。慰労会の席でマイナンバー制度の説明を受けました。マイナンバーカードを取得することが、間接的に彼を応援することになると思い申請したわけです。
★町内に市役所でこの交付事務のアルバイトをしている主婦がいます。当市の人口は40万人強ですが、10月現在交付を受けたのは約5万人だそうです。申請者は、4月には1日500人を超え多忙を極めていましたが、10月には200人に半減したと言っています。このため、アルバイト職員は来年3月で打ち切りとのことです。時給がよいので残念だと言っています。
★政府は利便性の向上にやっきですが、課題が多く前途は多難です。特にセキュリティーの安全対策が問題です。カードを紛失すると個人情報がすべて漏洩するという心配があります。このため持ち歩くことに躊躇し、金庫にしまっておくという笑い話さえあります。
   2016年投稿一覧
 投稿日    タイトル
 12月27日 マイナンバーカードは第2の住基カードか
 11月24日 横須賀の古墳時代
 10月23日 歯舞・色丹返還
  9月30日 彼岸考
  7月23日 喪に服しています
  6月10日 政治家は因果な商売?
  5月08日 トランプ大統領(候補)と日米関係
  1月15日 「偶然」とは偶然か
       「偶然」とは偶然か (2016・1・15)
★旅先で何年も会っていない旧友にばったり出会った、何気なしにTVを点けたら、衝撃的なニュースが飛び込んできた、亡くなった母親が夢の中に現れ、何事か語り掛けた、… こういう体験は誰もがもっています。いずれも予期せぬことなので、通常これらを「偶然」と呼んでいます。
★哲学者の木田元は「偶然性と運命」の中で、「偶然」の典型例として「めぐり逢い」を挙げています。“めぐり逢い” には、“恋人との出逢い” といったロマンチックな響きがあります。木田はこれを “運命的な出逢い” と評しています。これほど劇的な出逢いではありませんが同級生や同僚、同好の士などとの出会いは、ほとんど偶然の産物です。
★森有正(哲学者、文学者)によれば、人間は本質的に「…と共にある」存在だといっています。他の哺乳動物は生後すぐに自立し、巣立つことができるのに、人間の新生児は他者の介護なしには生きていけない、生まれた時からすでに社会的動物であり、その存在の仕方は原理的に「…と共にある」、と述べています。
★「出逢い」が「偶然」であることは実感的によく理解できます。人生は出逢い(偶然)の連続です。出逢い(出会い)は人だけでなく、信仰や書物、あるいは趣味などにもあります。その出会いによって人生は大きく変わります。出逢い(出会い)とは自己形成の根幹を成しています。よい出会いもあれば悪い出会いもあります。これは「運」「不運」、「ツキ」のあるなしとも関連しています。
★「偶然」の対極に「必然」があります。必然とは科学的に検証可能な事象のことで、計画など筋書きがあり、あらかじめ予期することができる現象です。ニュートンの力学的宇宙観によれば、「すべての事象は数学的に表現できるような力学的法則に従い、したがって必然的である。この宇宙に偶然のものは本来存在しない」、人間にとって「偶然」と見えるものは、対象についての知識が不十分なためにそのように思われるだけであり、したがって「偶然」とは単に「無知」の結果であるに過ぎない、とラプラスは主張しました。(「偶然とは何か」竹内啓から)。オランダの哲学者スピノサも「あるものが偶然と呼ばれるのは、われわれの認識に欠陥があるからだ」と述べています。
★これらは一学説に過ぎません。「偶然」と「必然」については哲学者、心理学者、文学者、数学者、物理学者、歴史家、宗教家などが様々な見解を述べています。それはさておき、紛らわしいことや摩訶不思議なことは世の中にはたくさんあり、しばしば起きています。
★ジャンボ宝くじを買って、“どうぞ当たりますように” と神様にお願いする。それほど当たる確率は低い。運よく当たれば “ラッキー” であり、当人は “偶然” としか思わないでしょう。それでも当たる人はいるので、偶然ではありません。確率の問題です。
★俗に、“前世から赤い糸で結ばれていた” といいますが、カミさんと結婚したのは偶然なのか、はたまた必然なのか? 子が生まれたのは間違いなく必然です。その子が有名人になったとすれば、偶然(突然変異)かもしれません。“掃き溜めに鶴” もこの類いでしょう。
★友人に呑み助でカラオケ上手がいます。深夜酔っぱらって千鳥足で帰宅途中、後方から来た車にはねられ瀕死の重傷を負いました。幸い命は助かったものの身体不自由の身になりました。これは彼にとっては偶然の出来事ですが、このようなことは珍しいことではありません。そのために生命保険という制度があります。これも確率論で説明されます。
★冒頭で挙げた事例は合理的な説明ができないので、偶然としかいいようがありません。しかし、これは本当に偶然なのか。この世に「偶然」は存在するのか? これが本論を取り上げた理由です。
★古来、論理的に説明のつかない現象は数多くありました。何かわけのわからないものが存在しました。もののけや奇跡と呼ばれるものもその類いです。天変地異も同様です。祈祷師や宗教が栄えたのはその不安を和らげるためです。
★摩訶不思議としかいいようのない現象は、17世紀以降科学的な解明が著しく進みました。ニュートンの万有引力はその最たるものです。ダーウィンは「種の起源」で遺伝の仕組みを明らかにしました。パスカルなど数学者は確率論を確立しました。これらは偶然と思われてきた現象を論理的に説明する上で多大な貢献をしました。
★近代に入るとさらに発展し、多くの謎が解明されてきました。人工衛星は宇宙の成り立ちを一層明らかにしつつあります。DNAによって生物の進化を詳細に説明できるようになりました。脳科学は人間の思考について深層に迫ってきました。しかしながら、これらをもってしても「偶然」は偶然か?の解は得られません。
★近い将来人間の構造がすべて解明され、すべての人間的行為や現象が科学的に説明できる日がくるのでしょうか。「偶然」がすべて「必然」になったら、交通事故はなくなるでしょう。死も予測可能になるかもしれません。このことは人間にとって幸せなことなのでしょうか。地震や津波は必ず起きます。しかし、それに遭遇するかどうかは分かりません。万一に備えることは必要ですが、過度におびえることは現実的とはいえません。 
★竹内啓はむすびの中で、きわめて確率の小さい危険を気にかけ心配することを「杞憂」というが、杞憂といえども、絶対に起こり得ないことではない、それはこの宇宙に生きる限り避けられない、われわれはそのことを認識すると同時に、そのような危険は無視して生きなければならない、「きわめて小さい確率はゼロと見なす」ことを行動原理にすべきである、と述べています。
★すべてのことがらが明らかになれば、人生は味気ないものになります。我が身を顧みれば、必然はごくわずかで、偶然が圧倒的でした。偶然があるから人生は面白いといえます。小生も「偶然」は残しておくべきと思います。それこそが人間だからです。

参考書籍 : 「偶然とは何か」竹内啓 岩波新書、「偶然性と運命」木田元 岩波新書
         喪に服しています(2016・7・23)     
★わが家は4人家族です。と言っても2人(匹)は猫です。子ども達が巣立ち、わが家は老夫婦だけになりました。
★7月17日(日)早朝、タンゴ(猫)の容態がおかしいと女房からたたき起こされました。タンゴはバスタオルに包まって居間に横たわっていました。声を掛けるとか細い声で応答がありました。背中をさすると手足を動かしました。しかし立ち上がることは出来ません。これはただ事ではないと思い、動物病院に連れて行くことにしました。車まで抱きかかえていく途中、嫌がって身体を動かしました。吐血がありました。
★この動物病院は車で15分ほどのところにあります。24時間体制で診てくれます。朝の5時過ぎにもかかわらず、当直の獣医と看護師が対応してくれました。人間の患者同様血圧測定、尿検査、心電図、関節の動作確認などをしました。尿酸値が高いことがわかりました。それ以上は精密検査が必要とのことで入院することになりました。
★この日は孫のソフトボールの試合があり、午前中夫婦でその応援に行っていました。帰宅すると動物病院から点滴中との留守電が入っていました。女房が面会に行きました。頭をなでると嬉しそうに声を出しました。院長は出来るだけのことはすると約束してくれました。病状は予断を許さないとのことでした。急変した場合、夜中でも電話してよいかといわれ、いつでも構わないと伝えました。
★その日の深夜に電話がありました。慌てて駆けつけると、既にこと切れていました。臨終には間に合いませんでした。脳梗塞でした。18日は祭日で火葬場は休みでした。家に連れて帰り、19日までドライアイスで保存しました。子ども達が次々に最後の別れに来てくれました。タンゴは10年前に公園に捨てられていたのを、倅が連れてきた猫です。手の平にやっと乗るほどの子猫でした。女房がミルクを飲ませて育てました。わが子を失ったように悲嘆に暮れています。
★倅によれば、猫は我慢強く、ギリギリまで頑張る動物だと言っています。タンゴはまさにそうでした。苦しまずに他界したことがせめてもの慰めです。家族に見送られ幸せな一生だったと思います。20日に市の火葬場に連れて行きました。動物の火葬はまとめてやるため、骨になるのは1週間後になります。娘が骨壺を用意してくれました。菩提寺に弔います。
★女房は大の動物好きで、わが家ではペットが絶えません。タンゴが来る前に飼っていた猫が高齢で亡くなりました。嘆き悲しんだカミさんが、保健所に養子の紹介を依頼しました。そこから来る前に、息子が生まれたばかりの捨て猫を拾って来ました。これは5月でしたのでタンゴ(端午)と名付けました。ほどなくして保健所からよい子猫が見つかったと電話がありました。既に1匹手に入れたので、断ったらと言ったら、面接してくると出掛けました。見合いの結果、気にいったと連れてきました。茶色のふさふさした毛が特徴です。そこからムクと命名しました。
★十人十色と言いますが、それは動物も同じです。タンゴは温厚で落着きがあります。ムクはやんちゃで甘えん坊です。神経質なので人見知りします。10年も同居していると以心伝心でお互い通じるようになります。小生はカミさんほど動物好きではありませんが、かと言って嫌いなわけではありません。タンゴは小生の顔を見て仰向けになり腹をさするように所望します。ムクは小生がソファに座っていると、横に来て甘えます。そういう意味では小生にもなついています。
★しかし、カミさんに対する親密度は小生の比ではありません。買い物などでカミさんが外出すると玄関で帰りを待っています。まるで忠犬ハチ公です。体調を崩し寝込んだりすると、布団の周りに座って動きません。心配している様子が態度でわかります。カミさんはわが家の猫に限らず、他家のペットや野良猫からも慕われています。これは実に不思議です。特別なことをしている訳ではありませんが、動物を惹きつける何かがある感じがします。
★タンゴとムクは血の繋がりはありませんが、10年も一緒に住んでいたので兄弟同然でした。日頃はじゃれたり、毛づくろいしたり、なめ合ったりしていました。タンゴの突然の死で遊び相手を失ったムクは呆然自失の有様です。元気がなく食欲もありません。後追いしないか心配しています。わが家は目下喪に服しています。
           彼岸考(2016.9.30)
★お彼岸の中日、両親の墓参りに行ってきました。いつもは家族の近況を報告し、引き続き見守ってください、と頼んでいます。今年はいつもと違って “お元気ですか、間もなくそちらに行きます、待っていてください” と自然に口から出ました。
★“あの世” とか “来世” とかいう言葉には、出来れば行きたくないという響きがあります。“三途の川” や “地獄の沙汰も金次第” といったことも、行くことを躊躇させる心理的はバリアになっています。われわれ現世に生きる者は、いつまでも元気でこの世で過ごしたいと願っています。
★しかし、この考えはもしかすると間違った願望かもしれません。あの世に行ってみたら、なぜもっと早く来なかったのか、と後悔するかもしれません。両親だけでなく自分より早く逝った友人や知人から “遅かったじゃないの” などと迎えてくれるかもしれません。
★お彼岸とは別にお盆があります。お盆には “迎え火” と “送り火” があります。先祖の霊を慰めまた天国に送りだすというのが本来の意味です。これももしかするとわれわれを迎えにきたのではないでしょうか。肉体はやがて消滅しますが、たましいは永遠といいます。これを “輪廻転生” といい、人は生と死を繰り返しながら、永遠に生き続けると説かれています。
★仏教ではあの世のことを “極楽浄土” といいます。イスラム教でも “楽園” といい、特に男にとっては最高の理想郷として描かれています。男1人に処女70人がかしずいてくれるそうです。(オレはもたないよ!だって?)、いかにも一夫多妻制を認めている宗教です。キリスト教にも “ヘブン“ はありますが、「あの世ではなく、この世を天国や極楽にしよう」と来世より現世を重んじています。「隣人を愛せよ」とか「信ずる者は救われる」と強調しています。
★いずれの宗教にも天国と地獄があります。誰もが天国に行けるわけではありません。黄泉の国に行けるのは善男善女です。念のため。
        「横須賀の古墳時代」(2016.11.24) 

★11月20日、「横須賀の古墳時代」という講演会に行ってきました。講師は横須賀博物館学芸員の稲村繁氏です。今月5日に同じ稲村氏による「大津古墳群」という講演会が、大津コミュニティセンターでありました。これも聴きに行きました。前回は私が住んでいる大津がテーマでしたが、今回は地域を三浦半島に拡げ、半島が果たした役割と古墳との関係を論じたものです。前回の続編といった位置づけでした。
★大津古墳は、コミュニティセンターの裏山にあります。1号墳から3号墳まであることから「大津古墳群」と呼ばれています。1号墳は10m×20mと小ぶりですが、れっきとした「前方後円墳」です。なぜ横須賀に前方後円墳があるのか、その被葬者はだれなのか、そのナゾに迫るのがこの講演会のテーマでした。
★前方後円墳は天皇陵など高貴な人を埋葬する墓とばかり思っていました。古墳に詳しい丸橋さんの論文(古墳の散歩道)には、そういう事例が紹介されています。マルさんによれば、多摩川周辺や埼玉など関東にも古墳群が数多くあると言っています。マルさんの言う通り、全国に5,200基の古墳があるそうです。
★最大の前方後円墳は、大阪堺市の百舌鳥古墳群にある仁徳天皇陵です。これは全長486mあります。それに比べれば、大津の1号墳はミニ前方後円墳です。被葬者も高貴な人物ではありません。
★このナゾを解くには、三浦半島という地理的特徴がヒントになります。古墳時代は3世紀から7世紀までを言います。この時代は畿内(現在の近畿地方にほぼ匹敵)に大和朝廷があって、そこから古代船で関東・東北に物資が運ばれていました。東北や関東からは逆走して畿内へと搬送されました。
★三浦半島は、ちょうどその中間に位置し、遠浅と砂浜が多いことから、古代船の良港として、西と東を結ぶ交易の中継地となりました。そこに関東内陸部の滞在拠点ができ、出身地の交易に関わる支援活動をしていました。“派遣駐在員”はショートステイからロングステイまで様々でした。やがて土着の人と結婚し定住する人も増えてきます。
★定住した有力者が亡くなると、出身地に戻らず地元に墓をつくる人が出てきます。三浦半島には37基の古墳がありますが、それらは移住者の墓とみられています。大津1号墳の被葬者は群馬の人です。築造は6世紀末です。なぜそれが分かるかといえば、墓の形状と副葬品、それに埴輪です。埴輪は材質、形状から産地が特定できます。
★問題は墓の形式です。稲村氏の解説は次の通りです。移住者の代表者は“領事”に相当する役割を担っており、畿内から訪れる役人との交流がありました。時には自ら畿内を訪問し、見聞を深めていました。当時畿内では前方後円墳や墳丘墓が盛んでした。移住地に戻った領事は、自分が死んだらこれと同じ墓をつくるようにと言ったのだろう、と述べています。
★この説は説得力があります。全国各地にある古墳群は、畿内との交流で築造されたに違いありません。古墳は集団(地縁、血縁)のアイデンティーを表す手段としてつくられました。7世紀後半になると突然古墳の築造はなくなります。これは律令国家の成立と関係があるのでしょう。
  

先頭へ
     トランプ大統領(候補)と日米関係(2016.5.8)
★あれよあれよという間に、トランプが “ババ抜き” を勝ち抜き、エースをもぎ取ってしまった。さしずめ、こんな感じの米大統領選である。
★トランプはいずれ失速し、最終的にヒラリー・クリントンが次期大統領になるというのが、玄人筋の読みである。しかし、泡まつ候補、はったり屋、荒唐無稽、政治の門外漢などと罵倒され続けたトランプが、プロや専門家を自認する評論家の予想をことごとく覆し、共和党の指名獲得を確実にした。 
★現段階でも、クリントン有利がプロの見方である。果たしてこの予想は正しいのか。「経済格差に苦しむ米国民の不満の受け皿」が、トランプ現象に対する代表的な評である。トランプが躍進した真の理由をプロは見落としていないのか。大衆の怒りや不満、苛立ちを甘くみていないのか。フィーバーは一度火が点くと、想像を超えた広がりを見せる。アメリカ独立戦争に次ぐ第2の “革命” が起きるかもしれない。
★トランプに対するオッズの支持率は上昇し、直近で38%になった。大統領選は二者択一である。この支持率では、トランプ大統領は “ほとんどあり得ない”。 しかし、サッカーのレスターが5000倍の倍率にもかかわらずイングランド・プレミアリーグを制覇したように、大統領選で奇跡が起きないとはいえない。メール問題や好感度に課題があるヒラリーなのでなおさらである。そろそろトランプ大統領を前提にした検討を始めてはどうか。
★トランプが大統領になった後のアメリカと日米関係を考えてみよう。彼の選挙戦での発言を要約すれば保護主義、孤立主義が鮮明である。メキシコ移民の締め出し、イスラム教徒の入国禁止、駐留米軍の撤退、TPP反対、経済競合国に対する制裁、法人税及び低所得者層に対する減税などなどである。
★「アメリカを再び大国にする」が彼のスローガンである。グローバル戦略を転換し、その資金を国内経済の底上げに振り向けることを主張している。 “アメリカ人によるアメリカ人だけのアメリカ” が彼の目指す国造りである。明らかに内向きであり、現代版 “鎖国” 政策である。
★日米関係はどうなるのか。在日米軍駐留経費を100%負担しろ、さもなくば米軍を撤退させると主張している。米軍基地反対派はトランプの就任を歓迎するだろう。沖縄も横須賀も横田も返還される。核の傘がなくなれば、中国の脅威に曝される。わが国は憲法を改正し、軍備を強化し、核武装に踏み切るだろう。トランプもそれを容認している。
★日本の核武装をきっかに韓国、ドイツ、イラン、シリア、ミャンマー、ブラジル、アルゼンチンなども次々に核保有国になるだろう。日米同盟は破綻し、貿易摩擦が再燃する。日本は帝国主義へと回帰する。世界は不安定化が増し、第3次世界大戦への危機が迫ってくるだろう。これがトランプ大統領下の新世界である。
★大統領への実現性が増すにつれ、さしものトランプも修正発言が目立つようになり、現実路線へと舵を切り始めた。残り半年余り、どのような結果が待ち受けているのか、世界は注目している。