Humankind希望の歴史(2022・5・24)
★人間は、基本的に善良なのか、それとも邪悪なのか。これがこの本のテーマである。古来「性善説」、「性悪説」を巡って様々な学説、議論が繰り返えされてきた。著者は膨大な資料を検証し「人間は本質的に善である」と結論づけた。
★著者ルトガー・ブレグマンは、1988年オランダ生まれ、若干34歳の歴史家、ジャーナリストである。本書はオランダでベストセラーになり、世界46か国で翻訳され、ニューヨーカー誌やエコノミスト誌など、欧米メディアから絶賛された話題の本である。
★本書は、ロシアのウクライナ侵攻前に書かれた。したがって、プーチンやウクライナでの残虐行為に関する記述はない。
★人間は本質的に善というのが本当なら、ユダヤ人への襲撃、集団的迫害、大量虐殺、強制収容所をどう説明するのか、ヒットラー、スターリン、毛沢東、ポル・ポトに賛同し、罪もない人々を無慈悲に殺害したのは、なぜだったのか。「性善説」を信ずる著者が直面したのは、この問題であった。
★600万人を超えるユダヤ人が組織的に殺害された後、文学と科学は、人間はなぜそこまで残酷になれるのかという疑問にとりつかれた。初めのうちは、ドイツ人は自分たちとは異なる動物と見なし、すべてを彼らのひねくれた魂と病んだ心と野蛮な文化のせいにしようとした。いずれにしろ、彼らは自分たちとはまるで違うのだ、と。
★しかし、問題がひとつあった。歴史上最も凶悪なこの犯罪は、辺境の未開地で起きたわけではなく、世界で最も裕福で進歩している国の一つにして、カントとゲーテの国、ベートーベンとバッハの国で起きたからだ。
★「ナチスからユダヤ人を守ったデンマークの軌跡」という章がある。
1943年9月28日、ナチスの制服を着た男が、コペンハーゲンの社会民主党本部を訪れ、幹部を前に「10月1日、ナチス親衛隊によって、デンマークのユダヤ人が拘束され、6000人収容出来る船に乗せられ、ポーランドの強制収容所に移送される計画がある」と告げた。
★その夜、ゲシュタボは、ユダヤ人たちが、この検挙を前もって知らされ、大半はすでに逃亡していたことを知った。実際、この警告のおかげで、デンマークにいたユダヤ人のほぼ99%がこの戦争を生き延びた。
★一斉検挙の情報が伝わると、抵抗する動きが国中で起きた。教会、大学、実業界、王室、弁護士会、デンマーク女性評議会はすべて、一斉検挙への反対を表明した。そしてほぼ即座に、逃亡経路のネットワークができあがった。それは、中央が指示したわけではなく、また、何百万人という個々人の活動を統括しようとする動きもなかった。そんな時間はなかった。何千人ものデンマーク人は、貧しい人も裕福な人も、若者も老人も、今が行動すべき時であり、目を背けるのは母国への裏切りになることを理解していた。
★「ユダヤ人から助けを求められた場合、人々は決して拒まなかった」と、歴史家レニ・ヤビルは記している。学校や病院は彼らに門戸を開いた。いくつもの小さな漁村が、何百人もの避難民を受入れた、デンマーク警察もできるかぎり支援し、ナチスへの協力を拒んだ。数日のうちに、7000人以上のデンマーク系ユダヤ人が、エーレスンド海峡を横断する小型船で、スウェーデンに運ばれた。
★ハンナ・アーレントは自著「エルサレムのアイヒマン」において、デンマークでのユダヤ人救出について、「それは、ナチスが現地の人々の公然たる抵抗を受けた、わたしたちが知る唯一の事例であり、結果的に、抵抗に直面したナチスの個々人は決意を翻したようだ。彼ら自身、一つの民族を根絶させることを当然だと見なさなくなったのは明らかだった。彼らは主義に基づく抵抗に遭ったのであり、彼らの“強靭さ“は日光を浴びたバターのように溶けていった」。
★このエピソードは本書に紹介された数多くの事例のひとつである。著者は、これらの事例を検証し、「人間は本質的に善である」という結論に達した。しかし、このデンマークの例は事前通告した親衛隊員やデンマークの人々の善意を説明しているが、ヒットラーのことには触れていない。
★アンネ・フランク(1929〜1945)は、次のように書き残している。
「自分でも不思議に思うのは、今でもわたしは理想をすべて捨ててしまったわけではないということです。とてもばかげていて、非現実的に思えるのに、わたしはそれらにしがみついています。なぜなら、何があったとしても、人間の本性は善だと信じているからです」
★ヒットラーやスターリン、毛沢東、ポル・ポト、プーチンの人間性を理解する上で、ヒントになる記述がある。
★「戦争」という現象を理解するには、支配者に目を向けなければならない。将軍と王、大統領と補佐官。彼らは戦争をすれば自分の力と権威が高まることを知っていて、その目的で戦争を始める怪獣だ。
★権力を握る人々は、脳を損傷した人のような行動をとる。普通の人より衝動的で自己中心的で落着きがなく、横柄で無礼。浮気する可能性が高く、他人にもその気持ちにもあまり関心がない。加えて彼らは厚かましく、人間を霊長類の中で特別な存在にしている顔の現象を、往々にして喪失している。
★つまり彼らは赤面しないのだ。医学用語では「後天的社会病質者」と呼ぶ。19世紀に心理学者たちによって初めて診断された。非遺伝性の反社会的人格障害だ。権力が人を近視眼的にする。 トップに立つと、他者の視点に立とうとする気持ちが薄れる、権力者は、理性に欠ける人やいらだたしく思える人を見つけても、無視するか、処罰、監禁、あるいはもっとひどい扱いをすれば済むので、その人に共感する必要はない。また、権力者は自らの行動を正当化する必要がないので、自ずと視野は狭くなる。
★なんと、プーチンそっくりではないか。

以下、次号に続く。 
 
 
       Humankind希望の歴史(つづき)2022・6・1 
★「性悪説」の英国人哲学者トマス・ホップス(1588〜1679)は悲観論者で、人間は本来、怠け者で、自分勝手で、不道徳な生き物だ、人間の本性は邪悪だと主張し、社会契約に基づく国家だけが、人間を卑しい本能から救える、と断言した。このような暗い人間観は、マキャヴェリからホップス、フロイトからドーキンスまで西洋思想に浸透しており、キリスト教自体、人間は罪深い存在だと説いている。ポップスは、農業と私有財産の普及が、人間に平和と安全と繁栄をもたらした、と主張した。
★「性善説」のフランス人哲学者ジャン・ジャック・ルソー(1712〜1778)は、人間の本性は善良であり、「文明」は人間を救済するどころか破壊する、と主張し、文明の進歩という概念を認めなかった。人間が一カ所に落ち着いた時からすべては崩壊し始めた、と彼は考えており、現代の考古学者もそう語っている。また、ルソーは、農業の発明を大いなる失敗と見ており、それについても現代では科学的な証拠が無数にある。ルソーは「最初に誰かが、杭や溝で土地を囲って、これは俺のものだ、ということを思いついた」、そこからすべてが悪い方向に進みだした、と言った。農業と私有財産の普及が人間に平和と安全と繁栄をもたらした、というポップスの考えをルソーは認めなかった。
★ルソーは早々と、民主主義制度は「選挙制貴族制度」であることを見抜いていた。なぜなら民衆はまったく力を持っていなかったからだ。代わりに、民衆に許されたのは、誰が自分たちを支配するかを決めることだけだった。このモデルは本来、庶民を排除するために設計されたことを知っておくべきだ。市民は誰でも公職に立候補できるが、献金者とロビイストの貴族的ネットワークとのつながりがなければ、選挙に勝つことは難しい。アメリカの「民主主義」に王朝的な傾向がみられるのは当然だ。ケネディ家、クリントン家、ブッシュ親子がそれだ。
★700万年前に誕生した人類は、氷河期を含め、その歴史のほとんど(99%)を狩猟採集生活に終始してきた。農耕牧畜に基礎をおく定住生活を始めたのは、わずか1万年前である。180万年前にアフリカを出た第1陣を「ホモ・エレクトス(原人)」と呼ぶ。原人とはピテカントロプスなど中部洪積世に由来する原始的人類の総称である。第2陣は20万年前に出発した「ホモ・サピエンス(新人)」で、これが現生人類の祖先である。われわれの祖先は、狩猟採取と遊動生活をしながら、およそ6万年前に拡散し、アジア、ヨーロッパ、オーストラリア、やがてアメリカに辿り着き、農耕と家畜に依存した共同体生活を送るようになる。
★狩猟採集民は非常に安楽な生活を送っていた。1週間の労働時間は多くても、平均で20〜30時間だったことを人類学者は突きとめた。それだけ働けば十分だった。自然は彼等が必要とするものをすべて与えてくれたので、のんびりしたり、たむろしたり、セックスしたりする時間はたっぷりあった。
★200万年前、地球は間氷期を挟んで数度の氷期に見舞われ、人類は過酷な自然と戦わねばならなかった。氷河時代、人間の数は少なく、彼等は寒さをしのぐために団結しなければならなかった。人々は、生き延びるために戦うのではなく、生き延びるために寄添い、互いを暖めあった。
「性善説」を唱える学者は、このような人類の歴史を踏まえ「人間の本性は善良である」と主張しているのだろう。
★やがて氷河期は終わり、ナイル川とチグリス川にはさまれた地域は豊穣の地となった。そこでは、団結して厳しい自然に立ち向かう必要はなかった。食物が豊富にあったので、移動するよりとどまった方が得策だった。家や神殿が建てられ、村や町が形成され、人口が増え、リーダーが誕生した。 
★定住した農民は、大地を耕し、作物を育てなければならないため、のんびり過ごす時間はほとんどなかった。働かなければ、食べるものはない。定住生活は、特に女性に重い負担を課した。私有財産と農業の始まりは原始のフェミニズムの時代を終わらせた。
★定住と私有財産の出現は、人類史に新しい時代をもたらした。その時代には1%の人が99%の人を抑圧し、口先のうまい人間が指揮官から将軍へ、首長から王へと出世した。こうして人間の自由、平等、友愛の日々は終わった。氏族は他の氏族による攻撃を防ぐため、同盟を築き始め、リーダーが出現した。たいていは戦場で活躍したカリスマ性のある人物だった。やがて、この戦場のリーダーたちは権力を振るうようになり、平和時にもそれを手放さなくなった。
★さらに重要なことは、定住することによって、人々の所有物が増えていったことと見知らぬ人に対し、不信感を抱くようになったことだ。狩猟採集民の入会資格はかなり緩やかだった。彼らは常に見知らぬ集団と出会い、容易に合流した。しかし、村を築いて暮らすようになると、人間は自らのコミュニティと所有物に、より関心を持つようになり、外国人恐怖症になった。
★数千年間、人々は温厚な人をリーダーに選んできた。しかし1万年前になると、権力者を引きずり下ろすのは難しくなった。都市や国家が築かれ、支配者が軍の指揮権を掌握すると、少々のゴシップや槍では用をなさなくなった。王は退位を拒否した。大統領が嘲笑や揶揄によって引きずり下ろされることはなかった。このようなタイプのリーダーが支配する社会は、戦争に執着し始める。地位を失う、あるいは殺害される恐怖にさらされるからだ。
★世界中の人々が、族長や王が登場した後も、リーダーを抑制する方法を探し続けた。その明白な方法のひとつは革命である。フランス革命、ロシア革命、アラブの春に至るまで、あらゆる革命は、同じ目的に支えられていた。大衆は暴君を倒そうとした。しかし、多くの革命は最終的に失敗する。専制君主が倒されると、すぐ新らたなリーダーが登場し、権力を渇望し始めるからだ。
★フランス革命の後、それはナポレオンだった。ロシア革命後は、レーニンとスターリンだ。エジプトもまた、別の独裁者に支配された。社会学者はこれを「寡頭制の鉄則」(社会集団においては必然的に少数者が多数者を支配すること)と呼ぶ。自由と平等という高邁な理想を抱いた社会主義者や共産主義者でさえ、強すぎる権力を握ると、その不健全な影響を受けずにはいられなかった。
★人間の99%は善人で、悪人はわずか1%だとしても、1億人の国では、100万人の悪人がいることになる。1%は決して少ない数字とは言えない。プーチンや疑似プーチンが100万人単位でいるとすれば、ウクライナ侵攻のような紛争は今後も後を絶たないだろう。「人間は基本的に善である」と安心しているわけにはいかない。
★人間は白か黒かと単純に色分けできる生物ではない。人間には善と悪が共存し、その比率によって、善人と悪人とみなされているのだろう。プーチンは悪の比率が99%であるが故に、極悪非道、人非人と弾劾されているのだと思う。ウクライナ紛争は、いずれ結末を迎えるだろう。著者を含め、後世の歴史家は、プーチンの人間性とウクライナ侵攻をどう説明するのだろうか。 
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