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「火山島」 (第2話 : 李芳根とその家系) 2023・6・29
★本書の主人公は李芳根(イバングン)である。芳根は両班家の血統を継ぐ名門の次男、正三品、府使公の四代孫、33歳。 昔両班家の長子は科挙に及第しても仕官しなかった。長子はひたすら家にあって外地に出ず、代々祭祀を行って祖先の霊に仕え、家族を守ることを以って至上の任とした。これは父祖に対する孝誠の表われである。
★李泰洙(イテス)は芳根の父親、南海自動車(運送業)の社長と殖産銀行の理事長をしている。済州島の有力者。仙玉(ソノギ)は後妻、元妓生。芳根の兄容根は家を捨て、日本に帰化、畑中義雄と改名し、東京で医院を開業している。有媛(ユウオン)は芳根の妹、ピアニストを目指し、ソウル大学で学んでいる。
★芳根は定職に就かず、母の遺産で生活している。酒好きで朝から酒を飲んでいる。普段は自室のソファーに座りっぱなし、下女に指示して酒や酒肴を部屋にもって来させる。友人・知人がよく訪ねてくる。気が向けば外出し、友人と会い、飲み屋で一杯やり、妓生楼にしけこんだりしている。
★小学生の時、奉安殿に小便を引っかけ放校処分になる。大学時代、日本の官憲に思想犯として逮捕・投獄され、特高に拷問を受ける。父親の工作(賄賂)で釈放、要注意人物とみなされている。父はかつての親日派で右派である。父とは逆に彼自身の信条は共産党に近い。ただ、党の組織には直接参加せず、蜂起の外にいるが、何かとゲリラに便宜を図っている。芳根の生き様は一見不可解だ。しかし、彼の根底には「支配されず、支配せず」、「自由・平等の精神は、他者の命を脅かさない」をモットーにしている。
★李家は名門故に、長男が家系を継がなければならない。しかし、長男容根は日本に帰化したため、門中(父系血縁によって結びついた親族集団)は芳根を後継者と見なし、彼に家督を継ぐよう門中会の度に促している。芳根はそれを拒否し、結婚しない(離婚歴あり)と公言。
★芳根は父親に対し根深い不信感がある。生母は病気で他界するが、入院中から妓生の仙玉を身請けし、同棲していた。ある門中会の席上、女房の陰毛が白かったよ、と酒を飲んだ勢いで冗談を言った。芳根は父の母に対する冒涜や両班制度への抵抗、旧親日派への反発などから、家督を継ぐのを拒んでいる。
★屋敷は広い。父親と後妻は母屋に、芳根と有媛は別棟に住んでいる。下男、下女用の小屋がある。生鮮食品を除き、保存のきく穀類、干物、キムチ、酒の甕などは穀物蔵に保管してある。下男は、今はいない。下女のブオギが家事一切を仕切っている。ブオギは漢拏山の山深い農家から泰洙が連れてきた。大女で力が強い。薪割はお手のもの、斧を使っていとも簡単に割る。働き者で料理上手。いつも黒のチマチョゴリを着ている。泰洙を旦那様と呼び、芳根を若旦那様と呼んでいる。
★芳根はブオギと1度だけ関係をもつ。ブオギの大きな胸に抱かれて、芳根は母の胎内にいるような不思議な感覚になる。この一件がバレ、町中で話題になる。ブオギは李家を辞し、山奥の実家に戻る。芳根もソウルへの移住を決意する。仙玉が懐妊し手不足になり、泰洙の指示を受けた有媛が、ブオギを説得し復帰させる。
★上代に独立国だった耽羅(済州)は、百済、統一新羅に附庸(宗主国に従属してその保護と支配を受けている国)し、高麗期に至って群県制の一部として耽羅(タムラ)県となった。高宗(13世紀)の時代に済州と改称、その後、元→蒙古100年の支配を受けたことで、中国人や蒙古人の流入による混血があったが、李朝に入って朝鮮本土からの入島が圧倒的になった。
★今の済州の姓氏(苗字)の大半が高麗末から李朝時代になってからの流配人の子孫であり、済州島は当時の政客たちの流刑地だった。李芳根の始祖もそうだが、現在までに20何代、300数十年前の李朝中期にソウルから中央の政争を逃れて落郷、済州島へ都落ちした。済州島民の大半がこれらの流配された政治犯や両班、落郷両班たちをその始祖としている。  
★李家など名門家は、年2回一族郎党が集まり「祭祀」を行う。祈祷師と巫女を呼び、先祖の霊を敬い一族の安寧を祈願する。近所の人々も招き、二日三晩飲食でもてなす。期間中、門中会も行う。李家の主題は後継者問題。長老から家門の維持は最重要課題だと、芳根に家督を継ぐよう再三説得される。彼は結婚を含め、曖昧な態度を繰り返す。

ここでちょっと一息
★李芳根の家系は、朝鮮王朝時代の両班である。王朝時代、王に仕える最高位は、文官(文班)と武官(武班)だった。この2つを称して両班と言った。文班とはさしずめ文部大臣で、武班は防衛大臣だろう。正三品は上から3番目の階級で、府使公は、現在の知事に相当する。
★芳根の先祖は高位の高官で、地方自治体の首長だった。済州島に広い敷地を持ち、下男・下女を雇い、なに不自由なく生活しているのは、このような背景があるからだ。しかし、これはごく限られた特権階級のことで、ほとんどは貧しい生活をしていた。済州島は農業の他に漁業が盛ん。海女が有名。
★芳根の父は旧親日派だ。朝鮮は1910年(明治43年)、大日本帝国と大韓帝国との間で結ばれた日韓併合条約により、日本の植民地になる。朝鮮が独立するのは、日本が第2次大戦に敗れた1945年。旧親日派とは、日本の植民地時代(日帝時代)の体制派を指す。日本は天皇制をはじめ政治、経済、軍事、文化、教育などあらゆる制度を持ち込み、朝鮮の日本化を推し進めた。芳根が放尿した奉安殿もそのひとつ。近年問題になっている徴用工や慰安婦も、この時代の残滓。
★日本化の例として、日帝時代の代表的文化人、李光洙の創氏改名を挙げる。彼は、香山光郎と改名した。2600年前、神武天皇が即位した奈良の樫原に香久山という山がある。その名に因んで姓を香山とした。光洙は朝鮮民族の将来を考え、自分も子孫も天皇陛下の臣民として生きるために、改名したと述べている。
★終戦後旧親日派は、弾劾の対象となる。要職から追放しろ、という社会的気運が盛り上がり、旧親日派は苦境に追い込まれる。その対象者として「反民族行為処罰法」(反民法)に、以下のように記載されている。
★第5条「日本治下において高等官三等以上、勲五等以上を受けたる官公吏または憲兵、憲兵補、高等警察職にありたる者も、本法の公訴時期経過前には公務員に任命されることはない」。
★具体的には、満州や中国で日本の密偵として働き、朝鮮独立運動の闘士を売り渡した者、朝鮮の社会主義者や独立運動家を拷問、死へ追い込んだ朝鮮人高等警察官など。さらに経済人、特高、中枢院参議、文化人などを指す。
★この対象者(旧親日派)を特定するのが、特別調査委員会(反特委)だった。「何人も特別調査委員会の行動に対して干渉することは出来ない」と規定されている。
★第5条に続いて第6条がある。それには「本法に規定する罪を犯したる者において改悛の情状が顕著なる者は、その刑を軽減または免除できる」と書かれている。
★この法律によって、旧親日派は一掃されるかに見えた。しかし、旧親日派はそれでは息の根が止められると反撃に転ずる。李承晩(大韓民国初代大統領)は彼らを取り込まないと戦後復興は覚束ないと判断、第6条を拡大解釈して、第5条を骨抜きにした。世に「反民族行為処罰法」は“ざる法”と呼ばれた。李光洙(香山光郎)は、この法律で逮捕されるが、見せかけの追放劇だった。かくして旧親日派は、したたかに復権した。
★芳根は、この過程を忸怩たる思いで見ていた。済州島の悲劇は、アメリカと李承晩、旧親日派が仕組んだ人身御供だと喝破した。彼は済州島が「赤化」の島として作り上げられ、反共国家の存亡のためには、全済州島民を犠牲にしてもやむを得ないというのが、親日派政権の確立と維持のための大義名分であって、済州島が彼らのスケープゴートだと主張する韓成柱(反政権指導者)の意見と同じくしていた。 韓成柱はかつての民族反逆者、親日派のために済州島民は殺され、滅びるということだよ、と言った。

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★妹の有媛に結婚話が持ち上がる。門中会の長老が、ある有力者の息子・崔龍鶴(チェヨンハク)を良縁だと持ち込む。龍鶴は支店勤務の銀行員だが、近々本店の管理職になる、将来有望な青年だと言う。彼は有媛にぞっこんで、何としてでも結婚したいと言っている。先ずは見合いをしろと迫る。名門同士の婚姻で、両家にとってまたとない話だと強調。
★芳根も有媛も龍鶴のことは知っている。気障で自己顕示欲が強く、しつっこい。鼻持ちならないことから、2人共毛嫌いしている。有媛は兄に、彼とは絶対結婚したくない、なんとかしてほしいと懇願する。  
★有媛は教授からピアノの才能を認められ、日本への留学を薦められている。父親は娘が国元を離れることには断固として反対。結婚話は留学を諦めさせるよい機会だと思っている。有媛は学内の社会運動に加わり、ビラをまいたことがある。アカの疑いで警察に拘留された。芳根はアカを極端に嫌う体制派の心理を利用する一計を案じ、有媛がデモで警察に拘留されたことを、それとなく崔家に流す。
★これは効果覿面で、アカの娘を嫁にもらうことは出来ない、と先方から白紙に戻すという話しがくる。泰洙は、わが娘をアカ呼ばわりするのはけしからんと激怒、この縁談は破談となる。
★済州島では、ゲリラと政府軍との間で熾烈な戦いが続いている。済州島人民遊撃隊長李成雲は、国防軍将兵および警官に対して、あなたたちは銃口を親、兄弟、姉妹、同胞に向けてはならない、アメリカの侵略者を祖国から追い出すために! 売国奴李承晩徒党を打倒するために! 祖国の統一と民族の独立と自由のために! いつ、いかなる時も人民の利益を守り、戦う人民の軍隊になろう、と宣戦布告ビラを撒く。
★これに呼応するかのように10月本土の麗水、順天、大邸で青年将校が蜂起する。日本の2・26事件を彷彿させる。11月、政府の正規軍と米軍が出動し鎮圧に乗り出す。多勢に無勢、物量の差は歴然、反乱軍も済州島のゲリラも次第に追い詰められていく。逮捕した反乱者は、見せしめのため、城内をひきずりまわされ、集団で銃殺され、晒し首が目抜き通りにつるされる。済州島では、耳を切り取られるものが続出、目を覆うようなおぞましい凄惨な殺戮が行われた。
★朝鮮には大逆罪人の処刑に頭、胴体、腕、足を切り落とす「陵遅処斬」という極刑がある。しかし、耳切りの事実はない。秀吉が朝鮮侵略の時、朝鮮人の首の代わりに耳、鼻を削いで持ち帰るよう指示した。清正は家臣1人に3人の鼻切りを割り当てたという。京都に耳塚がある。
★12月27日、臨時高等軍法会議で麗水、順天反乱事件の捕虜224名に死刑宣告が言い渡され、銃殺刑に処せられる。
★正月早々、済州島の叛徒(ゲリラ)殲滅を目的に、米軍との陸・海・空連合作戦が始まる。米軍の空爆、艦砲射撃が行われる。他方、一般避難民の宣撫工作として、帰順勧告の投降ビラが撒かれる。1月8日、李成雲率いるゲリラ部隊が反撃に出る。
★李芳根は、済州島民を「アカ」に仕立て、共産主義殲滅を口実に、全島を火の海にする焦土化作戦がアメリカを背景に行われるだろう、残虐なことがなされても、この島は密島だ、海を越えて外に出て行くことは出来ない、どうにもこうにも打つ手はない、と韓成柱に言う。
★芳根は、ゲリラ側の敗北は明らかだと見なす。しかし、彼の力量でこの無益な殺戮を止める手立てはない。彼は全財産を投げ打って、済州島の船を買い占め、ゲリラおよび島民の脱出計画に着手する。
★かつて日本と韓国の間には定期航路があった。終戦直後はそれが途絶え、日本に渡るのは密航船しかなかった。芳根は、密航船を運航する大手船会社の社長と懇意だ。彼のルートを利用して、これまでも密輸・密航に便宜を図ってきた。韓大用(ハンテヨン)は、元日本の戦犯でシンガポールの収容所に服役していた。戦後帰島し、密航船の船長となり密輸や密航者の輸送に従事。芳根を尊敬、彼の依頼で密航者を何度も運んだ。
★父の反対を押し切って、芳根は妹の有媛を日本に留学させる決心をする。父を説得するため、芳根は結婚して家督を継ぐことを申し出る。父は彼の提案を飲み、有媛の留学をしぶしぶ了解。芳根は、父の気持ちが変わらない内に妹を日本に送るため、密航船を手配し送り出す。
★南承之(ナムスンジ)は在日朝鮮人で、大阪に母と妹がいる。朝鮮の統一を目指し、済州島のゲリラ組織に身を投じた青年活動家だ。芳根は彼を物心両面で支援してきた。承之は秘かに有媛に思いを寄せている。闘争末期、承之は遊撃隊長李成雲の宣戦布告ビラを撒いた廉で政府軍に捕らえられ収監される。芳根は賄賂を使って彼を助け出す。このままでは再度捕らえられる危険があるため、渋る彼を説得し密航船に乗せ日本に送り出す。
★「西北(ソブク)」と呼ぶ「四・三」事件に深く関わった北朝鮮出身者の組織がある。正式名称は「西北青年会」と言う。彼らは主に地主、キリスト教系要人、民族主義者や一部親日派など、北朝鮮の弾圧を避けて逃亡してきた若者たちだ。彼らを中心に、1946年11月30日ソウルで結成された極右反共団体である。代表者は鮮于基聖。
★彼らは綱領で、祖国の完全自主独立の獲得、均等社会の建設、世界平和への貢献などを前面に掲げた。だが、彼らが実際にしたことは、左翼勢力に対する“白色テロ”だった。
★反共とは名ばかりで、やくざ集団である。アカや左翼を探し出すという名目で、罪もない民間人を好き勝手に捕らえ、殺し、レイプ、暴力など、本来警察が出来ない残酷な行動を行った。食い扶持は自分で稼げと言われ、略奪、婦女暴行などやりたい放題の悪行を日常的に行い、島民から恐れられた。李承晩の親衛隊と言われた。
★本書では代表の鮮于基聖やソウル本部の幹部安斗熙は出てこない。安は北朝鮮平安北道生まれ(現在ミサイル発射基地になっている)、父は日帝企業との取引で富豪になった。安はその資金で満州、北京を放浪、後に日本へ留学、陸軍士官学校8期生、少尉に任官。開放後、ソ連に財産を没収され、38度線を越え、西北青年会に入り、幹部となる。
★「火山島」では彼をモデルにしたと思われる日本人が、ソウル本部の責任者として登場する。高という韓国名を名乗っているが、眼光鋭い、威圧感のある、やくざの親分を彷彿させる元特高である。ソウルの本部は、北朝鮮の資産家が保有していた別荘。広大な敷地の中に数多くの部屋がある。その中に留置所や拷問部屋がある。アカ狩りで捕らえられたものが収容されている。
★李芳根は、西北本部差し回しの車で、ここに連れて来られ、豪華な応接間で高と面談する。芳根は資産家の息子であるが、秘かにゲリラを支援している。その曖昧な態度が「西北」の疑惑になっている。差しの話し合いで、芳根がアカではないことが確認され、放免される。芳根は拷問に合うか、この本部から無事帰れるか、恐怖心を抱きながら会談に臨んだ。
★面談中、お茶の接待があった。運んできたのは、目を見張るような美人だった。この館にそぐわない美女で、芳根は高の妾だろうと推測した。その後、偶然に政府系の新聞社で、この美人に再会する。名刺には編集委員文蘭雪(ムンナンソル)とあった。彼女の誘いで、夕食を共にする。彼女は、本部でのことを覚えていた。
★蘭雪は、あそこに呼ばれ、高と対等に渡り合える人はいない、と芳根の態度を誉めた。これをきっかけに蘭雪との関係は深まっていく。彼女は高の妾ではなく、あの豪邸の持ち主の娘だった。父は北朝鮮の資産家だったが、行方不明になった。
★朝鮮に「南男北女」という言葉がある。男は南、女は北という諺。日本の「東男に京女」と言ったところか。文蘭雪はそれを体現した美女だ。
★芳根は、妹の有媛を日本に留学させる代わりに、自分が結婚して家督を継ぐと、父を説得する。その結婚相手に選んだのが、文蘭雪だ。彼女も芳根のプロポーズを受入れ、結婚を了承する。
★芳根は、済州島民を救う道は、島から脱出させる以外にない、と覚悟を決める。ありったけの船をかき集め、ゲリラと島民を脱出させる。有媛と南承之の脱出を見届けた後、芳根は漢拏山に登り、拳銃で自殺する。「火山島」は主人公の悲劇的な結末で終わる。

むすび
★朝鮮半島は、第2次大戦後南北に分断され、祖国統一という民族の悲願は、もはや不可能な夢物語となった。その元凶はアメリカだ、と主張するのが、金石範だ。国連合意に従い、米ソが半島から撤退していたら、金正恩の出現はなかっただろうし、ならず者国家もなかっただろう。
★北朝鮮は、飢饉で餓死者が続出、前途を悲観した自殺者も多数出ていると言う。金正恩は国民の窮乏に目をつぶり、ミサイル開発に巨費を投じている。若き独裁者は、国家経営にジレンマがあるのか、ストレス太りで体調悪そう。
★韓国は、北朝鮮を危険国家と見做し、アメリカと軍事同盟を結んで、厳しく対峙している。素朴な民族感情からすれば、当事者抜きに大国の都合で、作り上げられた許しがたい構図である。わが国は、拉致問題を抱えている。北朝鮮と国交がない現状では、解決のメドはたたない。
★済州島の悲劇は、1948年4月、アメリカの軍政下で政治的・経済的な思惑を秘めた狡猾な政治家・資本家たちと民族統一を願う純真な青年たち、それに賛同する島民らとの間で起きた事件である。
★割を食うのは正義感に燃えた純真な青年たちで、勝利するのは体制派となる。やりきれない悲惨な事件であるが、これが現実の世界なのだろう。 

                     
「火山島」 (第1話 : 四・三事件の真相) 2023・3・27
★「火山島」は済州島で起きた「四・三事件」の物語である。四・三事件とは、1948年4月3日に勃発した済州島民大虐殺事件のこと。島民30万人の内6万人が政府の治安部隊によって虐殺された。 この事件は、今に至るも真相はナゾに包まれている。いわば韓国史のタブーとなっている。本書はこのタブーの解明に取り組んだ労作である。
★先ず驚くのは、この小説の分量である。この物語は、1948年3月から49年6月に至る1年余のことである。わずか1年余りの出来事を400字詰め原稿用紙1万1000枚、単行本7冊になった大著である。単行本1巻は約500頁、しかも2段組みになっているので、実質は1000頁を超える大作である。
★著者の金石範は本年98歳、済州島出身の両親のもと、大阪で生まれた在日二世。1973年に「文学界」に連載を始め、95年に完結した。実に20年余の連載で、金石範の生涯を賭けた作品である。
★「火山島」とは、済州島をもじった書名。済州島には、韓国の最高峰、標高1947mの漢拏山?(ハルラサン)がある。第2次大戦末期、日本軍は米軍を迎え撃つため、漢拏山に陣地を構築。終戦で日本軍は武装解除し投降した。その武器弾薬の1部が、漢拏山に隠匿され、それがゲリラの手に渡った。
★わずか1年余りの出来事に、なぜここまで長編になったのか。それは朝鮮半島を取り巻く国際情勢や朝鮮民族の歴史、骨肉相食むしがらみなどが、四・三事件の背後説明として詳細に述べられているからだ。
★もうひとつは、著者金石範が、在日2世ということだ。本来なら母国語(朝鮮語)で書いたものを日本語に翻訳するところだが、日本生まれということからか、日本語で書かれている。ここに日本人作家にない若干異質で独自な日本語表現が感じられる。饒舌感があるのは、これが影響している。
★この長編を要約するのは容易でない。HP管理人の了解を得て、3回に分けて掲載する。第1回は「四・三事件の真相」、第2回は「李芳根と家系」、そして第3回は「南承之とゲリラ」である。
★今回は「四・三事件の真相」について述べる。要約すれば、アメリカの朝鮮半島政策と旧親日派によって引き起こされた事件ということだ。第2次大戦が終わり、45年12月、英米ソの3国外相会議がモスクワで開かれ、朝鮮半島は、英米中ソ4カ国による信託統治が決定された。5年間の統治の後、朝鮮に自主的な民主政府を樹立するという政治スケジュールだった。
★この合意に基づき、米ソは朝鮮半島から撤退することになった。その話が伝えられた時、共産党は真っ先に反対した。しかし、ソ連の方針であることを知って、一夜で賛成に回った。ところが、このわずか数ヶ月後、アメリカはこの合意を反故にし、南朝鮮に李承晩を首班とするアメリカの傀儡政権を発足させ、大韓民国を樹立し、独立を宣言した。朝鮮半島は38度線を境に分断され、北朝鮮には金日成を首班とする朝鮮民主主義人民共和国が成立する。 朝鮮戦争は四・三事件の1年後に勃発。
★朝鮮半島は、古代から外国に蹂躙されてきた。朝鮮民族にとって、南北を統一し、朝鮮人による朝鮮人の国家樹立は悲願であった。済州島で発生した南北統一を目指す組織(体制派はゲリラ組織と呼ぶ)は、北朝鮮と呼応し、朝鮮統一国家の樹立を目標に活動を開始した。朝鮮半島を朝鮮人による国家樹立という主張は多くの人々の共感を呼び、支援者は少なくなかった。
★この活動に危機感を抱いたアメリカと李承晩傀儡政権は、済州島民を「アカ」に仕立て、共産主義殲滅を口実に、全島を火の海にする焦土作戦を行った。これが済州島をスケープゴートにした真相である。
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