玉川上水―考
★江戸時代の庶民の飲料水として、多摩川の羽村堰から取水して、お茶の水まで建設された水道である。玉川兄弟が幕府の依頼で完成させた。開通当時は、舟の利用もあったが汚れるので禁止となった。近辺の川底から想像できないのは、三鷹に流れる玉川上水で太宰治が入水自殺の話である。下流に行くほど深く掘り下げられるので三鷹辺りになると深いのかもしれない。
★40年余前に、幸町団地の最後の入居者番号25号棟506号に入居した。数年暮らしてよかったのは、始発バス停の前の建物と市内の遠方を見渡せること、夏は5階のため蚊が来ない、裏手の玉川上水土手の散策を楽しみ、借りた土地での家庭菜園であった。今は市街になるが当時は、畑と米軍の返還前の基地の砂ぼこりは昼間でも太陽を覆い真黒であった。
★今住むところは玉川上水上流と昭和記念公園(米軍基地跡)に近い。玉川上水の水は農業に使えなかった。水源の無い農家は桑と養蚕で暮らしをたて、そのための教育(塾)の歴史は古く、今は名産のウドと多種の畑の産物である。米は貴重でありうどんが愛されている土地柄で、周辺はものすごい大農地をもつ農家が多い。立川で一番市街化が進まない所といえよう。最近やっとコンビニが近くにできた。歩行が難儀であるが、多少不便でも今の環境に感謝しなければとも思う。 |