「絵手紙日記」冊子を完成、
★緊急事態宣言が発せられた頃から「絵手紙日記」(手作り本)に取組んできた。原稿は昨年3月1日から、毎日妻に送られてくるハガキの通信面の水彩画と黒で書かれた一言である。作者は妻の高校同級生であり、今迄は年賀状の交流程度であった。作者は絵手紙会誌の「365日絵手紙を作り同じ人に届け 自分に輝け」との記事を読み挑戦を決意した。
★作者がピッチャー、受領者はキャッチャーと会は呼ぶ。一週間とか時々はあるが、一年間毎日絵手紙を描き郵便に出すのはすごい事であり、受ける方も整理など大変である。80歳直前の作者はご主人と2人暮らしで、子供2人は夫々別世帯でいる。ピッチャーになる前に、近所の農家に農地を借りて野菜作りも始めており、東日本大震災直後から話を聞くボランテア(資格がいる)や茨城県から都区の子供食堂のボランテア通いも続けている。
★絵手紙の宛名面の5分の3のスペースには、その日の出来事の日記が書いてある。5ミリ角位の字で300字はあり、妻は細かい字が読みにくいと言うので、ハガキの宛名面は、A4用紙に拡大コピー、絵手紙面はスキャナーとりとなり、2月29日に366日のハガキの着で終わった。日記で作者の生活がよくわかる。出来た野菜を宅配で兄弟従姉知人に送り、東北、北海道にでかけ、バス旅行もするスーパーウーマンである。
★昨年5月頃に絵手紙キャッチャーの妻は、冊子の発案をだし、下請けの作成を引き受けた。先ず半年分を10月に、B5サイズの冊子を作った。その頃に絵手紙の先生から、今迄出した絵手紙の回収を命じられた。チェックのポイントは郵便局の日付印だった。成程、先生もやるものだと思った。先生のHPをみると、のんびりぐうたらの風景なのに?
★3月に入り、後半年分の冊子と鼻歌の心境だったが、妻からは絵手紙を大きく枠は太く、キノコの色が違う、紫系が出ていないなど要望が有り、コピーしてきた絵手紙を再スキャナーしたり、ソフトによる調整、ハガキの辺にぎりぎり書く文字が欠けていたりで、結局、全て見直し補正、再編集の根気仕事になった。本の製作は3月を過ぎた。
★作者は366日で一区切りだけでなく、千日の挑戦を始め、4月に東京の会本部に通い一段上の資格をとり、子供に教える意欲でいる。その時に冊子を先生に見せる予定を持った。こちらは焦り、製作の悪戦苦闘となった。ハガキに貼ってある切手の絵柄も珍しいものが多く、巣ごもりの作業に追加してダブりなしで190種位の切手画面を頁に編集して冊子に含めた。茨城県は緊急事態宣言の解除となっており、東京解除はお互い待ち遠しい。 |